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生きづらさの原因は他人主体の生き方にあった
理不尽に苛まれて社会から脱落した僕は、苦しみながらも…様々な気づきによって救われていきました。
先天性の障害からの理不尽を、不可抗力と認識して受け入れられれば幸せになれる!
けれど僕はどうしても、社会から脱落した、という惨めさを受け入れることができなかった。
プライドを捨てることができなかったんです。
それは…僕たち人間の根幹に、自分の存在価値を確認して安心したい、という強い欲求があるからでした。
他人に認めてもらいたい、他人より優れていると感じたい、そんな強い衝動。
しかし、そこには致命的な問題点が潜んでいました。
生きる上で最も大切にしたい存在価値を、他人という不可抗力に委ねてしまうという恐ろしさ。
消耗の苦しみ…劣等感の苦しみ…認められるために無理をする苦しみ。
プライドや承認欲求に縛られて、他人本位で生きれば…幸せになれない。
僕はそう強く確信することで、プライドを捨てる決意、他人の目を気にしない決意を固められたのでした。
そして、僕の決意の背中を押してくれたもうひとつの気づき。
それは…存在価値とは自分で作ることもできる、という考え方です。
存在価値を感じられるもう一つの方法
承認欲求とは他人や世間などから認めてもらうもの。
僕はこの固定観念にとても悩ませられました。
不可抗力によって、僕は普通よりもかなり能力が低く存在しています。
不甲斐ない人間、もっと言うと20歳を超えた赤ちゃんみたいな存在でした。
でも人間は承認欲求を幸せの測りに使うから、このとても低い価値ですら誰かに認めてもらいたい。
ひとつだけある可能性は、愛のある家族です。
理想的な両親を持っている人なら、無償の愛によって、どれだけ不甲斐なくても、存在自体を認めてくれます。
僕はこれがある人が本当にうらやましいです。
何故なら僕は幼少のころに両親が離婚し、母は去り、毒親である父に育児放棄されて、祖父母に育てられました。
その祖父母は…僕が障害に直面した時期と同じくして他界してしまいました。
僕は、無償の愛が一番欲しかった時に…その存在を失ったんです。
だから僕は…家族に承認してもらうことはできません。
かと言って、20歳を超えた赤ちゃんのような社会不適合者を認めてくれる他人なんてまずいません。
でも僕は…大きな見落としに気づいたんです!
他人は不可抗力だから、依存すれば苦しみのリスクが付きまとう。
なら…不可抗力じゃない…自分は!?
もし…自分で存在価値を生み出すことができるなら…
自分で自分のことを認めてあげることができるなら…
絶対に安定する、苦しみのない幸せを得ることができる!
楽しい人生を手に入れられる!
僕の場合、苦しかった人生、というあるがままの中に…
楽しく生きるための考え方に気づけた、という価値を見出しました。
今それを伝える活動をしているのは、まさに自分で価値を作ることの実践という訳です。
自分のための人生を生きる
社会や他人にとっての存在価値と、自分にとっての存在価値は内容が大きく異なります。
社会や他人にとっての存在価値とは、能力がある、結果を出す、言うことを聞く、身を削って無理をすること。
自分にとっての存在価値とは、楽しさ、自分らしさ、やりたいことをやる、無理をしない範囲で頑張ること。
前者の他人本位な生き方は、まるで他人に満足してもらうための召使いのように感じてしまいます。
そして後者の自分本位な生き方は、自分が幸せになれるかどうか?で価値とします。
大前提にしたいのは、これらの生き方を実践しているのは、自分の人生、自分だけが観測している世界だと言うことです。
そう考えると、他人本位の生き方は苦しみを伴うばかりか、根本的におかしいような気がしませんか?
他者からの承認欲求や、プライドの奴隷になったまま生きていると…
最悪の場合、人生そのものを奪われてしまうんです。
自分本位が最強である理由
他人本位から脱却して自分本位に移行できると…
不可抗力への消耗がなくなって生まれた余裕や、やる気から、自己実現に向かっていける。
あるがままを受け入れられるから、劣等感の苦しみがなくなり、小さな幸せに包まれて暮らせる。
そして…これらによって、自分という生命が持っている能力を最大限に引き出せる状態になるんです。
あるがままの自分の、生産性を最大化して、決して無理をせずに頑張ることを楽しんでいく。
自分が持っている個性や、自分が本当にやりたいことに、消耗なく全てを注ぎ込んでいく。
そうすると何が起きるか…
なんと一旦あきらめたはずの、社会からの承認を得られる可能性が出てくるんです!
自分本位による生産性の最大化だからこそ、能力や計画を最も前進させることができるという仕組み。
言い換えると…
自分にとっての存在価値を完全に満たしながら、他人からの承認も得られうる!
そんな…大きな夢を持てるって訳です。
これが、僕がたどり着いた、人生を逆転できる可能性が高い…最強の考え方なんです。
戦略的な我慢で敷居は大きく下がる!
僕が今まで語ってきたことは、動物的な本能を、人間だけができる理性的な考えで抑え込みます。
だから慣れないうちは我慢も必要になってきます。
そこで…重要になってくるのが、戦略的、一時的、という認識です。
単なる我慢と、夢のための一時的な我慢、では難易度が天と地ほど違うんですよ!
惨めさを受け入れても、その先に明確な光…夢がないなら、とてもプライドを捨てられない。
それくらい人間の根幹にある承認欲求とは強いもの。
大きな夢を持たないで、欲を無くす考え方によって、全てを受け入れましょうと説くのが、仏教の悟り。
僕もいろいろ学ぶ中で、この我慢に近い受け入れに挑戦したのですが、さすがに無理でした。
欲=煩悩を無くすために、色即是空や諸行無常、諸法無我などの考え方があるのですが、どれも夢が弱かった。
それで試行錯誤の末たどり着いたのが、夢を持った一時的な我慢、戦略的な自分本位、という訳です!
「惨めだなんて思われたくない…」「誰にも嫌われたくない…」
と言った他人本位の感覚は本能レベルにあるものだから、消すのではなく抑えるというイメージが重要です。
あくまで、自分が最も幸せになれるための、手段としての…
戦略的な…自己愛、弱さの受け入れ、世間体からの脱却ということなんです!
自分本位への移行は、孤独の良さを知ることも効果的です。
やはり不可抗力に振り回されない幸せからは、真理に近い良さを感じます。
今まで話してきた様々な考え方によって、僕は挫折から立ち直ることができました。
そして僕は、自分のための第2の人生を始める決意をします。
それは新しい夢のために、過去の夢を取り戻す戦い。
次回は、本当にやりたいことのために障害の後遺症をどう乗り越えたか?を語っていきます。
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