何のために生きてるのか…人は存在価値を求めて苦しみ続ける

うらぎ
人間が生きる意味って何だと思います?
あんな
う〜ん…目標に向かって頑張って、最終的に周りのみんなを幸せにすることでしょうか?
ゆうり
人間が生きる意味…?
そんなの…無いよ!
あんな
そ…そんな…夢も希望もないんですか?
ゆうり
偶然が絡み合ってできた宇宙…そこにたまたま生まれた人間に意味があると思う?
うらぎ
それはまあ…確かに。
ゆうり
生きる意味が無いからこそ、人間は…競いあったり…承認してもらうことに必死になってるの!
ゆうり
でもね…実はそれこそが、生きづらさの元凶、諸悪の根源なんだよ…。
あんな
本当は無いものを、無理に作ろうとするから苦しみが生まれる…ってことですか?

この記事はこちらの記事からの続きになります。

目次

理不尽に苛まれて存在価値を奪われた過去

「僕にはもう存在価値がないんだ…」

絵描きを目指して、血の滲むような努力をして手に入れた、絵を描く技術。
その僕の唯一だったもの、目指していた夢を失った時…

僕は間違いなく、自分の価値を無くしてしまった。

僕が味わった、地獄のような苦しみ…
その苦しみが、何故あれ程までにつらかったのか?

それは…
人間の生きるという本能的な衝動が、自分の存在価値を求めることから始まっていたからなんです!

生きる意味は無い!と言われても納得できる訳がない

人間の生きる意味は…無い。

ポジティブな姿勢こそ正義という世間ではあまり言えませんが、みんな心の底では理解していることだと思います。
ランダムが支配するこの広大な宇宙の、もの凄く小さな地球に、たまたま生まれた人間という存在。

でも…

厳しい社会で無理しながら頑張ってるのに、そこに意味が無いなんて耐えられる訳がない。
子供の頃から明るい希望や、わくわくする未来を信じてきたのに、そこに意味が無いなんて耐えられない。

だからこそ…!

意味が無くても、社会で認めて貰えれば、価値が生まれる!
努力した自分と他人を比べて、自分の方が優れていると感じればいい!
と…存在価値を求める。

自分が主人公だ!自分だけは特別だ!自分は決して量産品なんかじゃない!
と…存在価値を求め続ける。

人間の本能、生の衝動には、こんな根源的な思想があるんです。
別の言い方をすれば、承認欲求のことです。

誰かに認めてもらえれば、存在価値を感じて安心することができる。
誰かより優れていると確認できれば、存在価値を感じて快感を得ることができる。

それによって、見栄、プライド、世間体、などを最も守るべきもの、と認識するようになったんです。

人間は生まれた時…その意味も目的も持たない”究極的な自由”を与えられます。
自由とは言い換えれば、何の役割も持たないことであり、存在価値への不安そのものなんですね。

ゆうり
「人間は自由という刑に処せられている。」って誰の言葉か分かる?
うらぎ
ノーベル賞を拒否したことで有名なフランスの哲学者、ジャン=ポール・サルトルの名言ですね。

人間は無意識で存在価値を求めている

誰もが自分の存在価値を求めている…
凄く分かりやすいのが、ゲームなどをした時の勝ちと負けの感覚です。

勝つと嬉しい、負けると悔しい、という誰もに共通する感覚。
この感情が発生する理由を考えてみてください。

勝って、自分が相手よりも優れていたと確認できた時に「嬉しい」と感じていることに気づくと思います。

勝っても負けても物理的には何も変わらないはずなのに、大きな感情が巻き起こる。
それが人間の、無意識の承認欲求なんです。

食べることに困らなくなり、価値観の頂点に幸せさや満たされることを置くようになった僕たち人間。
だから必死に、存在価値を求めてしまう、プライドを守ってしまうという訳です。

僕が全てを失って過剰なまでに苦しかったのは、この1番大切にしたいものを無くしたからに他なりません。
僕は自分の障害をあるがまま受け入れて、不可抗力への消耗を無くそうとした…けどそれがどうしてもできなかった。

自分の弱さ、惨めさを受け入れられなかった理由…

それこそが、生きるという根底において存在価値を求めてしまっていたから、という訳なんです!

プライドを捨てて、誰にも認められないことを受け入れるということは…もはや…死ぬよりも苦しいこと。
僕は心の奥底で、そんな風に感じていたのかもしれません。

けど僕は、この窮地から脱出する考え方に気づく、たどり着くことができたんです!

それは…他人という不可抗力から承認してもらうことが、いかに危険で苦しみに満ちたことなのかを理解することです!

存在価値を他人に委ねる極大なリスク

不可抗力…自分では制御できないもの。
この世界には不可抗力が溢れていて、他人もそれに該当すると気づきました。

そして不可抗力を制御しようとすることによる消耗の繰り返しこそが、
人生がうまくいかなくなる致命的な原因になりうると気づきました。

その上で、僕たち人間の根幹に、承認欲求を他人によって満たそうとする性質があるということを考えてみてください。

生きる上で最も重要視したいもの、を、他人という不可抗力に委ねてしまっている、と認識できます。

これは、自分がどれだけ頑張ろうと報われるかは運次第になってしまう、苦しみは確実に発生してしまう、ということ。

うらぎ
「全ての悩みは対人関係の課題である。仙人のような世捨て人でさえも、実は他人の目を気にしているのだ。」
あんな
心理学者アドラーの言葉ですね!

他人本位な生き方になってしまうので、僕みたいに能力が低く生まれてしまうと、常に劣等感に苦しみ続けることになってしまうんです。

この恐ろしい、致命的なリスクに気づいた時に、僕はようやく決意できたんです。

この生まれ持った、他人本位という習性を絶対に変えてやる!と。

言い換えれば、自分の障害や社会的な惨めさをあるがまま受け入れる決意。
ずっと縛られてた見栄やプライド、そして世間体を捨てて、自分の人生を生きる決意をしたんです。

あんな
わかりやすく言えば、自分と他人を比べないで生きていくってことですね!

そして…この他人へのリスク認識と合わせて、もうひとつ非常に強力な考え方に気づいていきます。
それは、自分を変えるための大きなやる気に、頼もしい味方になってくれるもの。

詳しくは次回、お話します!

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