「何をしても楽しく感じない…」
そんなふうに日常の全てが無機質に感じられた経験はありませんか?
人間は意識を持ち、思考や選択ができるという特権で太古の生存競争において頂点に立つことができました。
しかし実は、この人間らしさが現代社会においては幸せさや楽しさを減らす原因になってしまうんです!
日常の楽しい瞬間とはただ没頭してる時
ここ最近で、楽しかった時のことを思い出してみてください。
友達と馬鹿やって夢中になってる時、旅行にいって美しい景色に見とれてる時など。
そういう本当に楽しさや幸せさを感じてる時って、思考が停止して、ただ没頭している状態なんです。
楽しい時間が終わって自宅に帰った時に、急に悲しくなったりハメを外したことを後悔したりするのは思考が復活したからに他なりません。
つまり、思考が停止してる状態の方が楽しくなれる、幸せになれるってことなんです!
人間らしさを捨てて動物的になっている時の方が楽しくて、人間らしさを取り戻した瞬間に不幸になる。
そう理解できると、人間の進化ってなんだか矛盾してるなって考えさせられますね。
でも僕たちは、この人間であるが故に発生する感情やストレスと付き合っていかなければなりません。
そこでもし、ただ没頭している状態を日常的に再現できるとしたら人生はどうなると思いますか?
そう、日常のストレスを無くし、全てのことを楽しく感じて過ごすことができるはずなんです!
“無意識の自分”が作り出す先入観や固定概念
思考を停止させ、ただ没頭している状態、それは全てを受け入れている状態です。
全てのものがただそこに在るだけ、という状態。
これを実現するためには、先入観や偏見などの自分というフィルターを外す必要があります。
この先入観や偏見は、人間が本能的なレベルで持っている「自分は正しい」という自己肯定感から生まれています。
人間はこの世界に生まれた意味や、自分の存在価値を模索するもの。
それらを正当化できる根拠として自分は正しいと確信したい、という心理が働いています。
そんなことはないと思う人は、友達との会話などで反射的に相手を否定してしまったことってありませんか?
この反射的な否定も、自分は正しいという自己肯定感の裏返しによるものなんですね。
自分というフィルターを外すには、まず無意識の中に存在する自分を認識する必要があります。
人間は、無意識の習慣によって様々なものに対して歪んだ評価をしてしまうようにできています。
例えば新しい腕時計を買って気分よく遊びに行ったら、友達が遥かに高級な腕時計をしていて、良かったはずの気分が逆に悲しくなってしまった、みたいな経験ってありませんか?
無意識の自分は、比較や期待から生じる感情によって今の価値に大きなバイアス(補正)をかけてしまいます。
今この瞬間にただ没頭して価値を最大化するためには、比較や期待といった習慣が大きな障害になってくるんです。
言わば、心に何重もの眼鏡をかけているのに、何もつけていないと勘違いしてしまっているのです。
これは全てのものの価値や魅力を本来よりも低く感じてしまう、というデメリットをもたらします。
生きている間ずっと損をし続けているとも言える訳で、それはもう凄まじく勿体無いこと。
さらには一番最初に知ったものや馴染みのあるものを、本来よりも高い価値に感じてしまう現象も併発します。
普段よく使うもの以外に対して無意識の自分による否定感情が働いて、この世界にある無限の選択肢が見えなくなってしまう機会損失も大きなリスクと言えます。
この世界の参加者を止めて観客になる
「無意識の自分、自分というフィルターを無くしたい!」
そう思えるようになったら、後は無意識の習慣を変えるための考え方を実践するだけです。
ただ無意識の自分は、精神の根底に深く根付いているもの。
単に「全てを受け入れよう」と意識するだけでは絶対に実現できないのです。
重要なのは、考え方によって脳に意味がないと確信させることです。
先ほど書いた、無意識の自分によるデメリットを意識してください。
そして、自分を持たない生き方をイメージしていきます。
自分を持たないとは、自分はこの世界に参加しているという認識を変えることです。
自分はこの世界を見ているだけの第3者である、という感覚を目指します。
映画に例えると、今までは役者として舞台に立っていた、それを、観客の立場だと認識し直すんです。
これこそが思考を停止させ、ただ没頭している状態、全てを受け入れている状態になります。
全てのものが本来の価値を持って、ただそこに在るだけ、という状態です。
この感覚が当たり前になった時、どんな事が起きても、欲望、恐怖、不満などの感情がほとんど無くなります!
エゴを捨てる、自分に縛られない、など表現はいろいろありますが、本質は同じです。
全てを受け入れる生き方
無意識の自分を持たない、それはこの世界の多くの事柄が自分ではどうしようもないことだと受け入れることです。
それは絶対に固定概念を持たない、全てのものは全く違うものだと認識すること。
自分を持たない生き方とは、全てのものをありのまま受け入れる生き方のことなんです。
全てのものは、極端なまでに違う性質をもっていると認識する。
この世界の全てのものは、0〜100まで違う、自分はその中のひとつに過ぎないと考えます。
例えば、街でたまたま出会った人が自分にとってマナーだと思っていたことを破ってきたとします。
普通の人なら、その時に怒りや悲しみの感情がわいてストレスになってしまいます。
でもその時に全ての人が0〜100まで違うもの、自分にはどうしようもないこと、という受け入れる生き方を持っていたらどうでしょう?
不思議なことにそれだけで発生するストレスは激減するのです。
だって、自分と他人の考え方が合う確率よりも合わない確率の方が遥かに高い訳ですから。
どんな人と接しても、こういう人なんだと受け入れて、むしろ様々な人がいることを観客として楽しむ、という生き方。
ぞれが「こうしなければならない」という無意識の自分がいるだけで台無しになってしまうのです。
要するにすべてのものに対して、ただそこに在るだけ、良いも悪いもない、という感覚を持つこと。
すべてのものとは、過去や未来も含みます。
未来はただ在るだけ、良いも悪いもない、特別な未来なんてない。
そう考えた時「なら今できることをもっと楽しもう!もっと広げよう!」って考えられるんです。
これこそが、自分の力が届くことのみに集中する生き方です!
自分がこの世界に対してできることの勘違いを無くした上で、最大パフォーマンスを求められるようになります。
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