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「みんな楽しそう…」比較という自ら不幸を選んでしまう恐怖の人間心理!

      2019/10/11

久しぶりに会った同級生と話をして
「充実した生活してて羨ましい…」
って凹んだことはありませんか?

ツイッターなど、SNSのタイムラインを見て
「みんな楽しそうだなぁ、それに比べて自分は…」
って悲しくなったことはありませんか?

ジュラビー
正直ありすぎて困る…
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生きづらさは無意識の比較から生まれる

何かとストレスが多く、生きづらさを感じる現代社会。
その苦しさの大きな原因になっているのが、無意識に比べてしまう習慣です。

比較する
こと、比べること。
それは自分の足りない部分を認識したり、新しい試みの効果を確認したり、成長するためには欠かせない習慣です。

人間は進化の歴史として、その比べることを繰り返して成長してきました。
比べるという無意識の習慣は、人間の重要な本能として誰もが持っているもの。

しかし人間はその比べることを、価値を図るための物差しとしても使うようになってしまいました。

その結果おきているのが、相対的な印象だけで喜んだり悲しんだりする感覚が当たり前になってしまうという現象です。
相対的な価値観で生きていると、本来の価値とはかけ離れた判断をしてしまうことを避けられません。

本来、全然悲しむ必要がない場面でも、間違った価値判断で悲しさを感じてしまう。
楽しいはずの状況で、間違った価値判断によって楽しく感じなくなってしまう。

例えば、インスタントラーメンを食べて、美味しいと感じたとします。
その時にテレビをつけたら、行列ができる有名店のラーメンを特集していたとしたらどうでしょう?

無意識に比べてしまうことで、インスタントラーメンが美味しかったという感情はかき消されて、惨めさや、美味しくなかったという感情に上書きされてしまいます。

そう、比べなければ価値があるものでも、比べる事で価値がないと勘違いしてしまうんです。

それを自分の意思に関係なく、全てのものを対象に無意識に行ってしまうのが人間の本能。
比べる習慣を止めない限り、ストレスや苦しさに悩み続けてしまう訳です。


他人と比べない生き方

中でもその苦しさを顕著に感じてしまうのが、自分と他人を比べてしまうことです。

みんな違って当たり前なのに比べるから苦しくなる

「他の人が当たり前にできることが、自分だけどうしてもできない…」
「自分は駄目人間なのかな…」

自分と他人を無意識に比べてしまうと、強烈な劣等感に苛まれてしまいます。
現代社会のストレスは、他人が絡んで起きるものが最も大きいと言われています。

だからこそ、絶対に比べてはいけない。
他人を避けては暮らせない世界だからこそ、比較してしまう習慣から脱却するべきなんです。

そのために一番大切になる考え方。
それは、全ての人がまったく違って当たり前、と考えることです。


 
世界を宇宙規模から考えて、全ては偶然の集合体であると認識する感覚を知ってください。

僕は、不平等すぎる運命によって、自殺すら考えた過去があります。
その時に自分を救った考え方が、全ての人は違って当然、平等じゃないと確信することでした。

全ての人は違って当然、平等じゃないのが自然なこと。
そう気づけたとき、無意識に比べることの意味のなさを根底から確信できるんです。

それこそが、比べてしまうこと、相対的に生きることからの脱却に繋がる第一歩になります。

相対的な価値感で生きてたら永久に幸せになれない

価値には相対的な価値と、絶対的な価値の2種類があります。
そして人間は本能的に、比較という相対的な基準で価値を測り、間違った価値判断に消耗してしまう、と言いました。

しかし、相対的な価値観で生きるというシステムには、もうひとつ致命的な欠陥があるんです!
それは、目標とする相対的な価値が、欲望によって作られることから生じます。

人間の欲望は際限がない、とよく言われますよね。
これは人間が、慣れという欲望のおかわりシステムを持っていることに由来します。
この慣れがあることで、欲望の上限が無くなってしまう、無限になってしまうんです。

すなわち、欲望を満たしたら目標が上がるを、延々と繰り返していく
当然ながらすぐに物理的な限界がきてしまいます。

それは、欲望が満たされない状態になること。
つまり相対的な価値で生きていたら、欲求不満や満たされない状態になることを避けられないんですね。

リセカ
幸せのためであるはずの欲望が不幸の元になってしまうんですね…

たとえ今日、幸せな出来事があったとしても、次の日により幸せな出来事がなければ、満足できなくなってしまう

これが相対価値で生きることの恐ろしさ比べるという習慣の恐怖です。

幸せの基準がどんどん上がって、本来価値が有るはずのものが無価値に感じてしまうという不幸。
大切なものを無くした時に初めてその大切さに気づく、という現象が起きるのはこのためです。

だから、相対価値で生きることから抜け出さないと永久に幸せになれない、とすら言える訳です。

そこで重要になるのが、比較する相対価値とは真逆の、絶対的な価値観で生きることです!

何も比べない絶対的な価値観で生きる幸せ

何も比べない絶対的な価値観で生きること
それは、比べるという習慣そのものを否定し、全てをありのまま受け入れる生き方。

先ほどラーメンの例え、インスタントラーメンを食べて美味しく感じていても、テレビをつけて行列ができる有名店のラーメン特集をやってたら美味しくなくなってしまう、という例を出しました。
相対的な価値観で生きていると、無意識に比べることによって、物の価値が変わってしまうんですね。

目指すべき、絶対的な価値観で生きるということは、何があろうと、インスタントラーメンが美味しかったという事実を、そのまま受け入れられる生き方です。
テレビで美味しいラーメンを特集していた、自分も美味しいラーメンを食べている、そこに関連性を一切作らない
ありのままの価値が、ただそこに在る、という感覚です。

全てのものを、ありのままの価値で受け入れようとする感覚。
これこそが、この生きづらい世界を楽しく生きるための、とても重要な考え方なんです!

リセカ
比べなければ良いも悪いもない、おだやかな世界で生きていけるんですね。

ありのまま受け入れるとは、先入観や偏見などのエゴをできる限り捨てること。
それは、普通であることの価値をより大きく感じることができる、根本から幸せになれる習慣です。

幸せになるために、特別であろうとする必要は全くないんです。
絶対に比べないから、普通で十分すぎるくらい楽しく感じられる

そうなるためには、本能レベルの無意識を変える必要があるんですが、
ここに書いてあることを知って気づけたこと、それが一番重要なことで全てが繋がっていきます!

自分より下を見ることは危険!

普通の価値を高めるという目標のための考え方で、ひとつやってはいけないことがあります。

それは、自分より下を見て優越感を得る、という方法です。
確かに一時的には、自分はまだ恵まれてる方だから頑張ろうって前向きになれるんですが…。

この考え方の問題は、比較するという習慣を否定できないどころか、肯定してしまうことです。
これでは、本当の幸せにはたどり着けない上に比較する習慣を定着させてしまい、将来的にまた苦しむことが確定してしまいます。

とにかく重要なのは、比べるという習慣が、不幸になるもの、意味がないものと確信することなんです!

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