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負けたくないという生物としての本能があった
長い時間を使い、僕は現状を受け入れる覚悟をしました。
そして生まれ持ったエネルギーで解決を目指す決意をしました。
「負けたくない、死にたくない、諦めたくない」
このとき僕は、今まで味わったことのないようなエネルギーを感じました。
それは必死という表現そのもの。
自分を突き動かす理由を、生物としての生存本能に求めたのかもしれません。
「死ぬ気で頑張ればきっと治る」
典型的な守護理論をかかげ、心細いながらも濁ったエネルギーで動き出す決意をしました。
愚かなことに、僕はこの状況になっても、努力すればきっと報われるという固定概念を信じていました。
いや、信じるしかなかったのです…。
すがれるものがあるなら何でもいいという状況だったのかもしれません。
何でもやるから僕の右手を治してください
まずはインターネットで同様の症状を探しましたが、全く見つかりませんでした。
これは今から10年以上前の出来事ですから、当時のネットの情報量を考えると仕方ないのかも。
それから行ける限りの病院に行きました。
というか、この時点で僕には病院に行くという選択肢しかありませんでした。
だからもう本当に、行ける限りの病院をハシゴし続ける毎日を送りました。
しかし、原因を特定してくれる医師は誰一人としていませんでした。
腱鞘炎や、バネ指や、神経性ジストロフィーなどの疑い、というような診断が多かったです。
それもほとんどの医師が、原因の特定はできないような曖昧な見解でした。
複数の医師の意見を聞いても、全ての医師が違う診断を出してくる。
何でこうなってるのか誰にもわからないという状況…
僕は絶望しました。
それは本当に深い闇に迷い込んだかのような気持ち。
想像以上に追い詰められた現実に、もう心は折れかけていました。
どんなに頑張ってもどうにもならなかった
それでも、わずかな可能性にすがって治療を続ける毎日。
低周波による治療や、星状神経ブロックなどを通院して受けましたが、
残酷なことに症状は改善するどころか時間と共にひどくなっていきました。
このとき、右手の痛みは親指から人差し指くらいまで広がってきていました。
あせる気持ちがどれだけ大きくなっても、
自分にできることが何もないという悲しさと悔しさ。
たくさんの病院まわりと、効いてるかわからない治療の継続により、
僕は心身共に疲れきっていき、次第に感情がなくなるくらいの限界状況になっていました。
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