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筆者はこんな人間です [うらぎ けーた紹介]

      2019/10/17

うらぎ けーた

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この世界は生きづらすぎる!

厳しい現代社会に「生きずらさ」を感じている人はたくさんいると思います。

僕はそれが特にひどく、極度の心の弱さや、社会不適合すぎる性格に苦しんできました。
本当に、生きることに向いてないんです。


 
その結果僕は、大人としての責任を果たせなかった、自立できなかった。

リセカ
世間ではニートと定義されていますね。
ジュラビー
違うもん!

でも実は僕の人生には、食べていけるかどころか、生きるか死ぬかを彷徨うことになる、悲劇の展開が待ち受けているのでした…。

自由を目指したはずだった僕の黒歴史

全ては、ひとつの理不尽すぎる出来事から始まりました。
いくつもの最悪が重なって、夢、心、時間、など全てを奪われた、地獄のような体験。

このブログのキャラクターは、自分でデザインして描いたものって知ってますか?



 
「やりたくないことに縛られたくない!」という子供の頃から抱いていた強い想い、わがままな衝動。

昔から絵が好きだった僕は、いつしか「イラストレーターになりたい!」という夢を持つようになりました。

絵師を目指してた時に描いたオリジナルイラスト

絵に人生をかけるつもりで頑張って、時期的にもう後戻りできないって時に、その理不尽は起きたんです。
それは、絵師になりたいという夢を、不可抗力によって強制的に奪われるという悲劇。

全ての経緯を知りたい方はこちらで書いています。(長いです)


 
突如、右手の親指に発症した原因不明の激痛。
そのあまりの痛さに、自殺を考えるほどに追い詰められました。

治したいという強い想いと裏腹に、僕にできたのはたくさんの病院を回ることだけ。
それでも全く原因がわからず、精神が壊れていくのを止める術はありませんでした。

「こんな目にあって、生きていける訳がない」

ジュラビー
「僕は苦しむために生まれたの?」

なんとか突き止めたその原因は、先天性による肘の形状にあったのです!

僕の右ひじは伸ばした状態で30度近い角度があり、神経に負担をかけていました。
10年以上経っても消えることのない手術後が痛々しいです…。

生まれたときから決まっていた運命

「こんな不平等な世界でどうやって生きていけばいいのか…」

「最初から決まってた運命…僕はすごく弱い存在として生まれたってこと?」

ジュラビー
もしかして…この状態が僕のスタートライン?

そう、全ての生命は与えられるものがバラバラであることが当たり前、自然であるという気づき。
強い人、弱い人、それぞれが全く違うのに自分を基準に考えるから生きづらくなる。


 
それは、比べることの無意味さ、比較してしまう習慣が生きづらさの原因になっているという学びでもありました。


 

人はそれぞれ違って当たり前

培ってきた技術を奪われ今にも崩れそうな心、希望も無くなってどうやって社会に立ち向かえと言うのか。
突きつけられたあまりの理不尽に、答えを出せずに苦しみ続ける毎日が続きました。

「このままじゃ、みんなと同じように一人前になれない…」

ジュラビー
…みんなと同じように?

「生まれ持った条件が違うのに…」
「何故みんなと同じ生き方を目指さないといけないの?」

ジュラビー
…いけない?僕は…縛られてる?

このとき僕は、ずっと自分が固定概念に縛られて生きていたことに気づきました。
見栄やプライドが作り出した「一人前にならなきゃいけない」という固定概念。

社会という前提の中でしか考えられなかったことが、終わりの無い苦しみの原因だったのです。

「僕は決して苦しむために生まれた訳じゃない!」
「今までなんで、苦しむ選択をしなきゃって思ってたんだろう…」

ジュラビー
楽しい生き方か、苦しい生き方か、なんて迷うはずもないじゃん!

全てを失ったからこそ、正しいと思ってた固定概念がいかに偏ったものだったのかにようやく気づくことができたんです。
自分が縛られてると気づいて冷静になればすぐに判断できる当たり前の選択肢、それが見えなかった。

不平等な世界なのに社会というひとつのルールで、弱い人は苦しみ続けるしかないっておかしいと思いませんか?

それは、弱い自分を認めて見栄やプライドを捨てれば、楽しく生きられるという気づきでした。


 

ありのまま自由に生きる!

理不尽すぎる不可抗力で、人生設計を壊滅させられたという悪夢のような現実。
僕は何も悪いことをしていないはずなのに。

「なんでこんなにも苦しくて、こんなにも悔しいの…」

「完全な不可抗力…自分の力では絶対にどうしようもないこと?」

ジュラビー
考えても消耗するだけなら…受け入れるしかない?

弱い自分を受け入れようと決意してもなお、失った夢のことを考えたら悲しくて、つらくて、やり場のない怒りが抑えきれなかった。

このとき僕に課せられていたのは、命の次に大切だと思っていたものを諦める、という涙ながらの決断。
そのためには、生きる上での根本的な考え方、意識の持ち方を大きく変えるしかありませんでした。

それは、欲望や固定概念に縛られず、自分ではどうしようもないことを受け入れること。
それだけが僕が前向きに生きて行くための唯一の方法だったんです。


 
この世界には自分ではどうしようもないこと、不可抗力が想像よりも遥かに多いという学び。

その不可抗力に対しても人間であるが故に感情を持ち、ストレスを生み出してしまう。
変えられないことを何とか変えようとして、無限に消耗してしまうのです。

不可抗力、自分ではどうしようもないことは、他人が絡んだことや不運な事故など日常にも溢れていています。

そして人間は、他人に対して自分の常識や固定概念に従うことを望んでしまいます。
自分ではどうしようもないものを自分の思うように変えようとする、消耗にしかならない不幸の選択。


 

人間なら誰もが生きづらさを抱えてる

その時、この世界の生きづらさは決して僕だけの問題では無いって気づいたんです。

「人間は誰でも縛られて消耗している…みんなが生きづらさに悩んでいるんだ」

それは、この豊かな時代になぜ自殺する人がたくさんいるのか?についての解答でもありました。
様々なものに縛られて選択肢を減らすことを重ねるうちに、死ぬ以外の選択肢が見えなってしまう。
僕もその直前まで行ったからこそ分かる、正常な判断なんてとてもできなくなってしまうんです。

「消耗してしまうのは不可抗力に振り回されるからだから…」

「消耗をしないためには…不可抗力を見極めればいいってこと?」

ジュラビー
そうすれば、自分が変えられるものだけに集中できるじゃん!

自分では変えられないことを受け入れて、変えられることだけに集中する、それが最も効率的な生き方だって気づいたんです。

僕は、苦しんでた時に「もし僕が普通の能力を与えられて生まれていれば、みんなと同じように生きることができたのに…」という思考を止めることが出来ませんでした。
そんな思考の渦から出られず一人で勝手に消耗し続けていたんですよね…。

「~れば」「~だったら」「もし~」など、過去という不可抗力について考えることは全てが消耗になってしまう。
僕が目指したのは、そういう不可抗力について一切考えない感覚です。

不可抗力を見極めて受け入れることは、結果的にエネルギーのロスが減って成功できることに繋がります。

リセカ
このことは、アドラー心理学で”課題の分離”として扱われています。

そう、本当の自由とは不可抗力すなわち自由じゃないものを知ることだという気づき。

しなければいけない事なんて何もない、したいことだけに集中するのが本当の自由なんです。
それを確信できた時、自分を支配していた様々なストレスが一気に晴れていくのを感じました。

「もう無理して頑張って、自分は幸せだって言い聞かせなくてもいいんだ…」
「嘘の自分を演じて、無理に世間と交流しなくてもいいんだ…」

僕は夢にも縛られてた!?

「自分ではどうしようもないことを受け入れて、弱い自分を認めていい…」

張りつめてた肩の荷が下りたかのような、濃厚すぎる安心感に包まれた僕。
それと同時に体の中を駆け抜けた、ハッとするような気づき。

「僕はもしかして…絵師の夢にも縛られてたんじゃ?」

ジュラビー
僕はずっと、絵師にならなければいけないって…苦しんでた?

「したいことだったはずが…しなければいけないに変わってた…」

失って絶望してた絵師になるという夢、僕はその夢に縛られて苦しんでいたという驚愕の気づき。
僕は「絵師にならなければいけない」と自分を縛り「絵師は天職だ、絶対に楽しいはず」って言い聞かせてた。

それは、人間が今の生き方を自分で選んでいると錯覚し、それをより好きになるように自分を洗脳していくという気づき。
絶対に自分がやりたいことだと信じて疑わなかったことですら、たまたま選ばれていたことだったという衝撃。

だからこそ…もし苦しいなら縛られてはいけない!

僕は絵を描くことは好きでしたがそれを仕事にしてしまうことで、限界の無い技術の追求、
遅筆ゆえに縛られる時間が長いなど、自分が一番求めてる「自由に楽しく生きること」からは外れてしまうことに気づきました。

本当の夢

「絵師は自由に生きるための手段のひとつでしかなかった…」

「僕の本当の夢は…縛られず自由に生きていくこと!?」

ジュラビー
僕は…夢を奪われてなんかいなかった!?

重要なのは何の補正もない純粋な今の自分の気持ちです。
苦しいか、楽しいか、したいことなのか。

ここまでいろいろ書いてきた変えるべきと言う主張も、自分が苦しいと感じる場合のことで、楽しいと感じていれば全く変える必要はありません。

楽しく生きるとは「自分の一番深いところにある想い」に気づいてそれを選ぶことです。
それは「しなければいけない」ではなく「したい」という衝動に従う生き方。

固定概念や過去の自分に縛られて「したいと思い込んでること」ではなく「本当にしたいこと」を選ぶ。
そのためには自分を疑って気づこうとすること、が最も大切になるんです!

僕は果たして望んだ生き方を手に入れられるのか!?
はたまた、黒歴史メーカーと化してしまうのか!?
生きていくために選んだ切り札とは!?

続きはこちらからどうぞ!


 
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